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コメット墜落事故から学ぶ技術史と教訓

コメット墜落事故から学ぶ技術史と教訓15 世界初ジェット旅客機(コメット)の企画 (WWⅡ戦後の英国、応力集中、疲労破壊、企画)

前回の紹介で未知への領域の攻略法の例、コメットで言えば世界初の高高度、高速飛行への挑戦の仕方を紹介した。

コメット墜落事故から学ぶ技術史と教訓14 未知なる領域(高高度、高速飛行)への挑戦(システムズエンジニアリング、アジャイル、ウォーターフォール、要件定義、RFP)

その方法論を基にコメットの企画がどのように成されて行ったのかを見ていこう。

コメットの企画を知るためには当時(1943〜1945年)の世界状況、イギリスの立場を振り返ると共に技術に関しても、どの程度のことがわかっていたのかを少し見て行こう。

何事も事象を探るためには、現状把握(周囲の状況)を知ることが大切なので是非、ついてきて欲しい。

コメットの企画時の世界状況

開発時の問題点を考えるにあたって当時の社会の状況や開発、製造会社の状態を簡単に考えてみよう。

英国政府の状況(1943〜1947年)

まずは、英国政府の状況を考えると第2次世界大戦のダメージにより国力が大きく下がっていた。

大戦直前まで7つの海を制覇する大英帝国にとって世界の覇権がアメリカとソ連に渡りつつあるのは許し難いことだったと思う。

下がった国力の回復、世界の覇権の再構築のために世界初の4発ジェット旅客機を実現することを選択した。

世界初を実現するためにとにかく何がなんでも他より早く開発する必要があった(アメリカも着手していることを知っていた)。

特に戦時中に米国がBー29を飛ばしていたことを十分にしていたので航空最先端の自負がある英国としてはかなり焦っていたことは想像に難くない。

この世界初ジェット旅客機が成功すればその後の民間ジェット旅客機の機体だけでなく運行システム、管制システムなどの全てを英国が握ることができ金銭面、政治面の共に多大な利益を生み出すことになるのだ。

おそらく戦後は、今までの7つの海を制覇するだけでなく地球上の全ての空の制覇を目論んでいたに違いない。

世界初を成し遂げる意味

日本では昔、“2番じゃダメなのですか“とか言うわけのわからんことを言う政治家がいた(まだいるかな?)が2番じゃダメなのだ。

即座に回答できない人も同じくらいどうかと思うが。

理由は、たくさんあるが世界で一番や初めて実現できた国、会社は、その業界の規格や業界標準を握れる。

2番だと1番を取った国や会社のやり方をお金を払って教えてもらったり部品を買ったりしないとつくれないのだ。

さらにもう一つ挙げるとすれば一番をとると言うことは、他が会得できないノウハウが得られるのだ。

常に一番をとり続けることでライバルに対して蓄積できるノウハウの量やメリットが桁違いに多くなる。

身近でホットな話題を例に挙げると“コロナワクチン“が解りやすい。

ここでは早期に承認されたコロナワクチンがRNA型であることの是非には、触れない。

執筆時点で海外メーカーのF社のみがワクチンとして承認され使われ始めた。

当然、世界中で多くの人が必要としているワクチンの生産量には、F社のみでは、限界がある。

執筆時点では、F社の会長の話によると自社で建設した施設でないと生産できないらしい(筆者は疑っている、たぶん生産不足のタダの言い訳)。

いくら国際社会だと言えどF社がワクチンを優先的に供給するのは、自分の国であることは、当たり前だ。

日本でもたくさんの人が必要しているがF社にワクチンを要求しても決まった数しか買えない。

そこで、じゃあF社の生産で足りないのなら“造り方を教えてくれれば日本で自分たちの使う分は、つくるよ“と提案する。

F社は生産許可を出す代わりに日本で生産するなら“いくらか金をくれ“と契約する。さらに日本で生産した時に得られたノウハウと実際に使用した臨床データも全部、F社に差し出すことに絶対になる。

そうすると日本でワクチンを作れば作るほどF社が儲かって、さらに使えば使うほどF社にノウハウが蓄積されるのだ。

一方で日本でジェネリックをつくるにせよ法律で何年間はつくれないし、新しい手法のワクチンを開発しても先行しているF社に比べて実績が圧倒的に低いので多くの人は選べるのならF社のワクチンを選ぶのが普通の考えだ。

極端な話、F社は開発しただけで後は、何もしなくても勝手に儲かるしノウハウも得られるのだ。

そう、このように先行して市場に製品を出すと計り知れないメリットが得られるのだ。

執筆時点ではアメリカ政府がF社のワクチン特許放棄を求めているが真の焦点は、政治の国際的に得られる利益と製薬会社の利益の凌ぎ合いになるだろう。

いずれにせよどんなカタチであれ米国に多大な利益をもたらす事になるのは、間違いない。

筆者が得意な工業の分野では、電動化よりも自動車の自動運転をどこが最初に達成するのかが気掛かりである。

自動運転を達成するためには、自動車そのもの技術開発が必要になるのは、当たり前だが交通インフラ全体を再設計することになる。

その交通インフラの仕組み、システムをどこかの国が実現するとしばらくの間は、独占できることになる。

そうすると自動車という製品だけでなく自動車を使った物流そのもののコア技術を他国に委ねることになり国防、経済などの面で非常に脆弱な社会になってしまう。

こんな感じで何事でも世界初で成し遂げることは、短期的な金銭メリット、デメリットだけではなく様々な利益が得られることを頭に留めて欲しい。

ここまでで世界初の重要性を説明したところでコメットに戻ろう。

そのために官民の共同プロジェクトとしてお金を惜しまず投入した。

そのために戦後にドイツで実用化されたジェット戦闘機に関わったエンジニアをお金で引き抜こうとしたがアメリカとソ連に持っていかれてしまったため独自の技術で開発することにした。

これがジェントエンジンが将来性のある軸流式ジェットエンジンではなく既存の遠心式ジェットエンジンを改良して使わざろう得ない状況になったのである。

ジェットエンジンの紹介はこちら→コメット墜落事故から学ぶ技術史と教訓3 ジェットエンジンの誕生(遠心式圧縮機、軸流式圧縮機)

コメット墜落事故から学ぶ技術史と教訓3 ジェットエンジンの誕生(遠心式圧縮機、軸流式圧縮機)

とにかくこれらの理由から英国としては、世界初のジェット旅客機の実現にかなり焦っていたような状態だ。

開発、製造会社(デ・ハビラント社)の状況(1945年前後)

一方で開発、製造会社(デ・ハビラント社)は、戦争が終わり軍用機の受注が大幅に下がるので業績悪化になるのは必須になる。

そこでなんとしても長く続くであろう平和時の市場のメインになる旅客機で多くの受注を取らなければ生き残れない。

そこで目をつけたのが世界初4発ジェット旅客機の開発、製造になる。

そのため社運をかけていたことは、想像に難くない。

また開発、製造会社(デ・ハビランド社)は、航空機の黎明期に設立され(1920年)数々の航空史の世界記録を持つ超名門会社である。

第2次世界大戦でも名機と呼ばれる軍用機、DH.88コメット(戦闘機)、DH.98モスキートを生み出した会社だ。

木製戦闘機モスキートが接着剤を駆使した接合で生産されており、そのノウハウがコメットの与圧室を分割して接着する製法へ繋がる。

すでに落とし穴が存在していた。

さらに英国では2番目に就役したジェット戦闘機 バンパイアを生み出した会社だ。

このバンパイアは、ただのジェット戦闘機だけでなく与圧キャビンを搭載したりバブルキャノピー(水滴型風防)を装備しており3500機以上生産された傑作機で、かなり技術に自信があったと思われる。

今風の言い方をすると航空機業界のリーディングカンパニーだった(現代のロッキード、ボーイングみたいな感じ)。

当然、社員も英国名門のオックスフォード大学やケンブリッジ大学などの出身の精鋭達が集まっているはずである。

さらに戦争という過酷な競争を戦い抜いて多くのノウハウや経験を積んだエンジニアがたくさんいたはずだ。

経営判断としては、機が熟したと考えても不思議ではない。

コメット開発前の技術状況(1945年前後)

次に技術的な当時の状況を考えていこう。

まず事故原因の大きな要因とされた応力集中と疲労破壊に関しては、当然ながら現在の知見よりも低いものの当時も一般的に知られていた。

応力集中の状況(1945年頃)

まず応力集中に関して少し歴史を解説すると記録上では、レオナルド・ダ・ダヴィンチ(1452年〜1519年)が応力集中の試験を行なっている。

その後に応力(荷重)が形状によって集中する度合いを形状係数と呼ぶがこの研究の大半は、1940年までに基礎が固められている。

当たり前だがいずれもコメットの開発より前のことである。

だからコメット開発時に窓の角やアンテナの穴に応力集中が発生することは多くのエンジニアが、知っていたのである。

応力集中の詳細はこちら→初心者でもわかる材料力学17 応力集中って何だ? (応力集中、形状係数、応力集中係数)

初心者でもわかる材料力学17 応力集中って何だ? (応力集中、形状係数、応力集中係数)

疲労破壊の状況(1945年頃)

疲労破壊に関しては、産業革命後の18世紀〜19世紀にかけて大きく発展した。

特に当時は、交通のメインが鉄道(汽車)だっため鉄道の成熟とともに疲労破壊の分野も大きく発展しコメット開発時の1947年では、鉄道は成熟期に入っており、同様に疲労破壊の基礎も固まっていた。

筆者の方で疲労破壊に関して歴史を少し調べたところ蒸気機関車の黎明期に機関車の車軸が疲労破壊で壊れまくったらしい(1830年くらい)。

幸いなことに当時の機関車は全力で時速24km/h程度なのでさほど大きな事故に繋がらないことと軌道上(レール)の上を走るだけだったので再現テストなどの試験が比較的に簡単に行えたようだ。

蒸気機関車の発達と共に疲労破壊の知見も発展し1940年頃の極東の日本でも安全に満州で最高速130km/hのあじあ号を運行できるようになっていた。

つまりコメット開発時点で多くのエンジニアが疲労破壊に関しても理解していた。

疲労破壊の詳細はこちら→初心者でもわかる材料力学22 疲労破壊ってなんだ? 超重要!!(疲労限度、SN線図、疲労限度線図、ビーチマーク)

初心者でもわかる材料力学22 疲労破壊ってなんだ? 超重要!!(疲労限度、SN線図、疲労限度線図、ビーチマーク)

その証拠に開発時点でコメットも一応、疲労試験を行なっている。

コメットの基幹技術のジェットエンジン、与圧室の背景(1945年)

次にコメットの機構や構造の目玉であるジェットエンジンと与圧室を軽く背景を見ていくと

ジェットエンジンに関しては戦争中に一応、ドイツで実用化されほぼ同時に、各国で軍用機に採用され始め英国でも1944年にグロースター・ミーティアが就役している(遠心式ジェットエンジン)。

一方で与圧室に関してもアメリカであるがBー29で戦争中に採用され、その分野でも遅れていた日本でさえ小型ながら終戦直前に一応の完成をしている。

当然ながら英国でも与圧室の研究、開発はされておりその技術レベルも決して低いものではない。

またコメットが飛ぶ高度12000mの環境(気温、気圧など)の観測データも大戦中に偵察され十分にデータは、揃っていた。

さらにコメットの開発、製造会社はコメット以前もDH.89 ドラゴンラピードという小型旅客機を多数、生産しており名機と呼ばれるほどの機体だった。

つまり小型であれ開発、製造会社は旅客機のノウハウをたくさん持っていたことになる。

このようにコメットの開発に必要なそれぞれの機構、構造や環境のデータは、一通り揃っていたのである。少し専門的にいうとコメットの実現のための各要素技術は、そこそこのレベルで確立されていたのである。

与圧室の詳細はこちら→コメット墜落事故から学ぶ技術史と教訓6 高高度飛行の機体技術の要 与圧室(安全、機能安全、フェールセーフ、ISO26262)

コメット墜落事故から学ぶ技術史と教訓6 高高度飛行の機体技術の要 与圧室(安全、機能安全、フェールセーフ、ISO26262)

では、何が世界で初めてのことだったのか考えるとジェットエンジンを使って高高度を与圧室構造で旅客飛行することが初めてだったのである。

つまりこれら各要素の組み合わせが真の初めての事象だったのである(ジェットエンジン+巨大な与圧室+旅客用)。

前回に説明したFー35統合打撃戦闘機の開発と似ていて個々の技術は確立されているが組み合わせが初めてだったのである。

ここにも落とし穴があって個々の技術があるので一見すると簡単に達成できるように見えてしまうことが恐ろしいのだ。

単純に組み合わせが初めてのことでも何が起こるのかは、わからないことが多くてとても難しいことなのである。

つまり技術者達が正確かつ正直な目で見ないとただの絵に描いた餅になってしまうのだ。

ここまでがおおまかな当時の状況、背景になる。

簡単にまとめると英国政府からは、威信をかけた世界初の実現のためお金や人的資源の投入を惜しまなかった一方で完成納期を早くしろという強大なプレッシャーをかけていた、おそらく具体的な期限が設けられていたはずだ。

そこにこれまでの実績から自信をつけたコメット開発、製造会社(デ・ハビラント社)が名乗りをあげ受注した状況になる。

世界初4発ジェット旅客機コメットの企画

ここからコメット企画時の問題点を時系列に考えていこう。

以前に紹介した開発の基本的な流れで表すと構想の部分に当てはまる。

ここで出てきた構想、または構想設計という段階だが、この期間で検討する内容は未知の領域への対応で説明したコンセプト決めから未知への領域を攻略するための技術課題、解決方法の決定まで実施する。

コメットではこのコンセプトに当たる部分は、英国政府が主導したようだ(所謂、某国産旅客機MRJと同じ政府主導ってやつ)。

英国政府による市場調査から企画立案

時の首相チャーチルが戦後の民間航空分野で自国の先進性を示すためと市場ニーズを調べるために1943年に自分の党である保守党から有力政治家であるのと同時に航空業界の有力者でもあるロバート・ブランゾン・タラを委員長にブランゾン委員会を設置し戦後の民間航空の主流になると考えられる具体的なプランを4つほど考えさせた。

1944年に4タイプの案が完成し各航空会社に提示した。

コメット開発、製造会社は4つの中でタイプ4と呼ばれるプランを受注した。

このタイプ4のコンセプトは大西洋を高速横断飛行可能なジェット郵便輸送機だったのだが何故か開発、製造会社が政府の案とは全く別な大型ジェット旅客機(後のコメット)を開発することを宣言した。

その背景には説明した通り数々の名機を生み出してきたプライドと過剰な自社技術への過信と今後の大幅受注減からくる危機感から一発逆転で大儲けするために壮大でとても魅力的に見える計画を打ち出したことは想像に難くない。

こういうのは後で取らぬ狸の皮算用になって痛い目に会うことが多いのだ。

その宣言を何故か政府は、認めてコメット開発、製造会社に開発を許可し軍需省から2機、官営の英国海外航空から7機の仮受注を受け国家プロジェクトとして1946年に開発がスタートする。

言い換えれば開発、製造会社の計画に目が眩んで自分たちの検討を捨ててかなり多額な税金でまだ海の物か山の物かわからない飛行機を9機も買ってしまったのである。

ここがまず最初のチェックポイントで政府が提示したコンセプトに対し民間が異なる提案をしてきたら普通だったら国費を使った開発を認めることは、まずあり得ない。

すでに企画の時点で政府と開発・製造会社のすれ違いが発生していたのである、綻びはすでに始まっていた。。

ここが政府の判断、政府の組織の大きな問題点になる。

何故ならブランゾン委員会で様々な検討をして決めたのが全部無駄になるからだ。

たたでさえ世界初を狙っているのにここで1年近く委員会で検討した時間が完全に無駄になる。

委員会に使った調査費用などのお金も当然、無駄になる。

さらにコメット開発、製造会社の宣言に政府側が栄誉、名声などに目が眩みあっさりと自分達の案を捨ててメーカーに乗かってしまっている。

その性で新しい大型ジェット旅客機(後のコメット)のコンセプトを検討し直す必要があるので1944年の発注から開発開始まで貴重な2年もの時間がかかってしまった。

ブランゾン委員の検討した1年間と予算は完全に無駄になった。

つまり大きな問題点がメーカーの案に政府が目が眩み大切なコンセプトを変えてしまい計画が狂った。

さらにコンセプト再検討のために2年の時間を費やした。

これで完成の1951年1月コメット量産機引き渡しまでの時間が5年を切った。

よって政府の焦りは、さらにかなり大きくなり開発、製造会社へのプレッシャーはかなり高かったと予測される。

ここで、メーカーの暴走を抑えられない、自分たちで決めたコンセプトを守りきれない政府の判断、コンセプトを守りきれない政府組織に大きな問題がある。

もしここでブランゾン委員会を中心にコンセプト タイプ4である高速で太平洋横断飛行可能なジェット郵便輸送機をつくらせていればコメットは存在しないので連続墜落事故は、発生しない。

またジェット郵便輸送機が万が一、墜落してもコメットほどの被害は、発生しない確率が高い。

さらにジェット郵便輸送機をつくっていれば民間で使うジェット機のノウハウが得られ後にコメットと同じようなコンセプトの旅客機を開発しても墜落事故を起こさなかった可能性が高い。

歴史のifはタブーだが教訓のためならありと筆者は、考える。

このような府の当初の思惑とは違った方針のもとで本格的に世界初4発ジェット旅客機コメットの開発が始まるのである。

次回は、コメットの開発着手以降を紹介していく。

コメット墜落事故から学ぶ技術史と教訓16 コメットの構想から設計(開発システム、図面管理、図面承認、管理体制、組織)

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輸送機器メーカーでの元エンジン設計者。15年の職務経験から機械設計知識を伝道します。また職歴を活かしてエアソフトガンをエンジニアリング視点で考えてみる。

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